何故、検討会が必要なのか

○その人を理解するためのケース検討会

 

当会では会の立ち上げから一貫してケース検討会を行っています。

一人一人に応じた理解や対応は、ひとりひとりのありのままの姿を見出すことから始める必要があります。

なぜなら彼らは、知的な遅れのない分、彼ら自身の弱さや躓きを、他の出来るところで意識的も無意識的も補ってしまうことがよくあり、その人が本来持っている特性を簡単に見極めるのは難しいからです。

その人が、どんな場所でどんな行動をしたのか、そしてそれらはどう周りで理解されどんな対応をされたのか、結果、その人はどうなったのかなどのエピソードを、その人と関わる人が持ち寄ることで、その人への共通した理解が得られたり、まだわからないことが出てきたりします。

成長とともにそれらの認識が変化する事も、新しく発見される事もありますが、より理解を深めるために一緒に考えていく場を持ち続ける事が必要です。

 

○ケース検討会に参加して(学生支援者より)

 

○ケース検討会を重ねてきて見えたもの(親より)

我が子が学習障害と診断されても、本人が何に困っているのか、どんな特性を持っているのか、障害が起因する言動はどんな事なのか、さっぱりわかりませんでした。

それでも日常はいろいろなことが起き、時として子どもの言動に自分自身や家族が振り回され、迷い、疲れて困ることも多い中、定期的にやってくるケース検討会で、親は我が子の育ちの振りを課題として与えられます。それは親にとってはなかなか骨の折れる作業です。

我が子とのやり取りの中で起こった事を掘り起こす過程は、時としてつらくしんどいものです。

しかし、我が子だけではなく、他のメンバーのケース検討会も含めて回を重ねると、同じ障害を持っていても当然の事なのですが苦手な事や弱いところが一人ひとり違う事、それと同時に、共通するものが浮かび上がってくるようになりました。

例えば、食事の時にじっと正座をするのが苦手な事、心とは裏腹な表情になりやすい事(極度に緊張をしているときはなぜか少し笑った表情になる)、意外な物を思う以上に怖がっていることなどが、読み書きや計算が苦手というどれか一つの能力の落ち込み、という一般的な学習障害の解釈だけではないことがわかってきました。

また、ケース検討会を始めたころは、親自身や周りの人が本人の言動で困っている事を改善するための方法ばかりを検討会に求めていましたが、個々の不適応の原因を探ること、それによって起こる言動を理解することが大事であること、また、苦手な事をなくすことが支援ではなく、苦手なことを認める事、また得意なことを認め、その人らしさを見つめ、それらを生かすための働きかけが本来の支援であることがわかってきました。

そして、我が子理解は、家庭の様子だけでは不十分で、子どもが接する社会のいろいろな場所での様子を照らし合わせる事が必要なのだと実感しています。

 

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